石川の「食材」

ぶり大根


「石川県の漁業の歴史を語るとき、能登のぶり網を抜きにして語れない。」と言われるほどです。
今回は、日本とそして石川県に非常に関係性の深い「ぶり」についてご紹介します。

昔の日本では、成人をしたり、役職が上がったりするタイミングで”改名”をする風習があったため、これに倣い、”成長する過程で名前を変える魚”を「出世魚」と呼んでいます。
関東:モジャコ→ワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ
北陸:コゾクラ→フクラギ→ガンド→ブリ
関西:モジャコ→ワカナ→ツバス→ハマチ→メジロ→ブリ
これは一例で、実は全国で約100の呼び名があるといわれています。
関東:モジャコ→ワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ
北陸:コゾクラ→フクラギ→ガンド→ブリ
関西:モジャコ→ワカナ→ツバス→ハマチ→メジロ→ブリ
これは一例で、実は全国で約100の呼び名があるといわれています。

ぶりは、文献によると室町時代以前から食されており、縁起の良い魚として大切にされていました。
さらに保存すれば長期にわたって食べられる貴重なタンパク源でもあったため、江戸時代の加賀藩(今の金沢)では、大晦日の年越しで食べられる「年取り魚」として使われていたそうです。
縁起物という繋がりから、石川県では「お婿さんの出世を願い、嫁が嫁ぎ先で苦労しないように」という思いを込めて、嫁の嫁ぎ先に「ぶり」を送る「嫁ぶり」という風習が今でも伝わっています。
さらに保存すれば長期にわたって食べられる貴重なタンパク源でもあったため、江戸時代の加賀藩(今の金沢)では、大晦日の年越しで食べられる「年取り魚」として使われていたそうです。
縁起物という繋がりから、石川県では「お婿さんの出世を願い、嫁が嫁ぎ先で苦労しないように」という思いを込めて、嫁の嫁ぎ先に「ぶり」を送る「嫁ぶり」という風習が今でも伝わっています。


11月半ば頃になると、北陸では猛烈な風と雷が激しく鳴り響く時期があり、それを「ぶりおこし」と呼ぶのですが、その時期を境にぶり漁が本格化します。
珠洲市から七尾市に至る富山湾に面した地域は全国でも有数の定置網地帯で、16世紀には既にぶり網による漁が行われていたと言われています。

ぶり料理の代表格である「ぶり大根」
旨味の凝縮されたしっとりとしたぶりと、ぶりの出汁がたっぷり染み込んだほくほくの大根。
咲耶の「海幸ひゃくまん御膳」でご堪能ください。
旨味の凝縮されたしっとりとしたぶりと、ぶりの出汁がたっぷり染み込んだほくほくの大根。
咲耶の「海幸ひゃくまん御膳」でご堪能ください。
ぶり大根が楽しめる
【金沢】海幸ひゃくまん御膳